KARADA内科 福岡天神院長・感染症専門医の沖中です。
最近、ニュースなどで「ニパウイルス」という名前を耳にすることが増えてきました。ニパウイルスは動物とヒトに感染する「人獣共通感染症」の一つであり、インドでの発生報告を受け、「致死率が高い」「次のパンデミック候補」といった言葉に不安を感じている方も多いのではないでしょうか。
本日は、感染症専門医の視点から、このウイルスの正体と現状、そして渡航時にリスクを回避するための具体的な行動指針について深掘りします。
ニパウイルス(Nipah virus)は、パラミクソウイルス科へニパウイルス属に属する、非常に病原性の高いウイルスで、世界保健機関(WHO)が「パンデミックを起こす可能性がある優先病原体」に指定していることでも話題となりました。脅威だと警戒される最大の理由は、その高い致死率 とヒト-ヒト感染 、有効な治療薬・ワクチンの不在 にあります。
過去のデータによると、ニパウイルス感染症の致死率は40 ~ 75% と推定されています。これは新型コロナウイルスやインフルエンザと比較しても極めて高い数字です。1998年にマレーシアで初めて確認されて以来、東南アジアや南アジアで断続的に集団発生(アウトブレイク)が報告されています。
ニパウイルスの自然宿主(ウイルスを保有している動物)は、「オオコウモリ(フルーツバット)」で、驚くことにオオコウモリはニパウイルスに感染していても症状がありません。いわゆる共生関係にあります。ニパウイルスがヒトに感染する主な感染ルートは以下の3つです。
動物からの感染: ウイルスを持ったコウモリや、コウモリから感染したブタやウマなどの家畜の体液(唾液、尿など)に触れること。
食品からの感染: コウモリの唾液や尿で汚染された果物や、生のナツメヤシ樹液(デーツパームサップ)を摂取すること。実は、この樹液を集める壺にコウモリがやってきて樹液を舐め、その際にウイルスを含んだ尿や唾液が入ることが、主要な感染ルートになっています。また、バングラデシュでは、発酵させた樹液(タリ)を飲んで感染した事例も報告されています。
ヒトからヒトへの感染: 感染者の飛沫や体液に濃厚接触することで、家族や医療従事者に感染するケースがあります。
症状は、4〜14日程度の潜伏期間を経て発症します(最長45日という報告もあります)。 初期は発熱、頭痛、筋肉痛、嘔吐などの風邪に似た症状ですが、進行するとめまいや意識障害などの神経症状が現れます。重症化すると急性脳炎や重篤な呼吸器症状(肺炎など)を引き起こし、昏睡状態に至って死に至ることもあります。また、回復したとしても約20%の人に痙攣や性格変化などの神経学的後遺症が残ったり、数ヶ月から数年後に脳炎が再発(遅発性脳炎)したりするケースも報告されています。
一口にニパウイルスと言っても、実は遺伝子学的に大きく2つのタイプ(系統)があることをご存知でしょうか。
マレーシア型(M株): 1998年の流行時は、中間宿主である「ブタ」からヒトへ感染しました。神経症状が主で、ヒトからヒトへの感染は限定的でした。風邪様症状から急速に進行する脳炎が特徴です。
バングラデシュ型(B株): 現在インドなどで問題になっているタイプです。こちらは呼吸器への親和性が高く、「ヒトからヒトへ」の感染がマレーシア株よりも起こりやすいとされています。脳炎以外に重篤な肺炎を引き起こします。
特徴 マレーシア型(M株) バングラデシュ型(B株) 地理的分布 マレーシア、シンガポール、フィリピン 主にバングラデシュ、インド 潜伏期間 4〜18日 1〜14日 (一般により短く、中央値は5〜6日) 発症様式 前駆症状を伴い、比較的緩徐に発症することが多い 急性に発症することが多い 呼吸器症状 比較的少ない;咳、咽頭痛などを含むことがある より目立つ;咳、呼吸困難、非定型肺炎などを伴うことが多い 消化器症状 嘔吐や下痢が起こりうる 嘔吐や下痢は比較的少ない 神経症状 脳炎、けいれん、ミオクローヌス(より多い)、その他の神経徴候 脳炎、けいれん、その他の神経徴候(ミオクローヌスはより少ない) 主たる臨床像 脳炎 呼吸器症状と脳炎 病勢進行 比較的ゆっくり進行することがある 発症から死亡までの平均期間16日 重症化までの進行が速いことが多い 発症から死亡までの中央値6日 長期後遺症 比較的少ない;再発性(再燃性)の脳炎を含むことがある より多い;けいれん、性格変化などの神経学的合併症を含むことがある 致死率 約40% 約70〜100%
残念ながら、現時点で承認済みの特効薬はありません。治療は支持療法(呼吸・循環の管理、けいれん対応など)が中心です。
予防の要となるワクチンも承認されているものはありませんが、東京大学やオックスフォード大学が開発を進めており、臨床試験の段階に入っています。
特に、東京大学先端科学技術研究センターは麻疹ウイルスをベクター(運び屋)としたワクチンを開発し、動物実験で高い防御効果が確認されています。2026年4月からベルギーで臨床試験(第1相)が開始される予定です。
現時点で、日本国内での感染報告はありません。しかし、海外からの帰国者が感染して持ち込まれる「輸入症例」のリスクがゼロとは言い切れません。また、日本の南西諸島にもオオコウモリは生息していますが、国内でニパウイルスを保有しているオオコウモリが確認されたという報告は現時点ではなく、日本国内で自然に感染が広がる状況にはないと言えます。
重要な点として、ニパウイルスがインフルエンザウイルスや新型コロナウイルスのように空気中を介して爆発的に広がる可能性は低く、感染経路は感染動物や患者の体液との「濃厚接触」が主です。そのため、過度に恐れる必要はありません。リスクを正しく理解し、事前に回避すべき行動を知っておけば、十分に対応可能な感染症と言えます。
流行地域(インド、バングラデシュ、マレーシアなど)へ渡航する際は、以下の点に注意してください。
動物に近づかない: 流行地では、コウモリはもちろん、ブタやウマなどの動物との接触も避けましょう。動物市場、養豚場、観光目的での動物とのふれあいなどもリスクになります。
生の食品に注意: 現地で「生のジュース」や「地酒(樹液由来の酒など)」を勧められても、加熱処理されていないものは避けてください。また、コウモリがかじった跡のある果物は絶対に食べないでください。果物は食べる前によく洗い、可能であれば皮をむいて食べることが推奨されます。
手洗いの徹底: ニパウイルスは体液・分泌物への曝露がリスクとなるため、手洗いなどの基本的な感染対策が非常に有効です。特別な対策よりも、「触ったら洗う」を徹底することが重要です。
当クリニックでは、引き続き正確な医学情報の発信を続けてまいります。
もし流行地域からの帰国後に発熱などの症状が出た場合は、受診前に必ず渡航歴をお知らせください。事前に情報を共有いただくことで、安全で適切な診療につながります。
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参考文献
World Health Organization (WHO). Nipah virus. Fact sheet. https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/nipah-virus
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国立健康危機管理研究機構(JIHS). ニパウイルス感染症の発生状況とリスク評価(2026年1月30日). https://id-info.jihs.go.jp/risk-assessment/nipah-virus-infection/20260130/index.html
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DOI: https://doi.org/10.3390/microorganisms13010124
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KARADA内科クリニック院長。医学博士。日本感染症学会専門医・指導医。
総合診療医として全身の幅広い診療と、感染症専門医としてHIV感染症や結核、マラリアなどの診療に加え、集中治療、院内感染対策、ワクチン診療などに従事。
「東京都感染症マニュアル2018」や「感染症クイック・リファレンス」などの作成に携わる。
東京医科大学病院感染症科医局長や東京医科大学茨城医療センター感染制御部部長、感染症科科長などを歴任し、現職に至る。
●日本テレビ スッキリに感染症専門家として毎週出演していた他、世界一受けたい授業・ザ!世界仰天ニュースなど出演多数
●Yahoo!ニュース公式コメンテーター